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震災五年、まだ駅から電車動かず、

福島県南相馬市のJR常磐線原ノ町駅。5年前の3月11日、午後3時9分発の上野行き特急「スーパーひたち50号」が、今も止まっている。雨だれの跡や大きなさびで、4両編成の白い車体はくすんで見える。

取り残されたのは、常磐線の一部が、東日本大震災による津波原発事故で、再開できないためだ。原ノ町駅から南46キロの竜田駅までの一部は、帰還困難区域に指定され復旧が進まない。北側も、約20キロ先の相馬駅までは運転を再開したが、その先の一部が津波で不通になっている。

 今月中旬から、JR東日本はこの車両の撤去を始める。同社によると、同型車両の多くが運用を外れ、再び走るのは難しいという。

 原ノ町駅(福島県南相馬市)に到着すると、留置線に「スーパーひたち」の車両「651系」をみかけた。新型「E657系」の導入によって姿を消しつつある“先代”の車両である。

 1989(平成元)年にデビューした651系は、新時代の到来を告げる車両だった。特急といえばクリーム4号と赤2号の塗り分けばかりだった当時、白とグレーを基調にしたボディーの印象は強烈そのもの。まだ小学生だった記者にとっても憧れの存在だった。

 駅の外へ出てから側へ寄ってみて、驚いた。長らく放置され、汚れが目立つのだ。白い車体に黒ずんだ汚れが痛々しい。

 「あんたもコレが目当てかい。最近カメラ持ってくる人、結構いるよ」と、散歩中のおじさんに話しかけられた。「すっかり汚れちゃって、何だか気の毒だね。この電車、あの日からずっとここにあるんだよ」とのこと。あの日とはもちろん、昨年の3月11日を指す。

 あの日-。上野を10時ちょうどに発車した「スーパーひたち15号」(11両編成)は、途中のいわきで7両を切り離し、13時9分、残りの4両が終点の原ノ町に到着した。約1時間半後、巨大地震が発生。福島第1原発の事故へとつながった。その後、常磐線は各区間で運転が徐々に再開しているものの、原発に近い原ノ町-広野間は不通のまま。原ノ町にいた4両編成は取り残された存在となった。

 車両をよく見てみると行き先表示は「上野」になっていた。あの日、再び上野へ戻るための準備をしていたのだろう。原ノ町-広野間の運転再開はいつになるのか分からない。それでも「上野」を示す行き先表示には、ふるさとの復興を願う人々の思いが込められているのではないか。そんなことを考えずにはいられなかった。

震災から五年という月日が流れ、被災地以外の人はその現状を知らない。同じ日本に住む仲間という事を忘れずに被災地の復興を日本全体で取り組んでいくべきである。